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17年春アニメ 1~3話まで見た感想

 

 『Re:CREATORS

 

ラノベやアニメなどオタ系コンテンツのキャラクターたちが現実世界に現れバトルするストーリー。

原作は『ブラック・ラグーン』の広江礼威氏。しばらく休載していたブラックラグーンの連載も次号「サンデーGX」から連載再開するようです。

まだ2話までしか見てないけど、アクションシーンのクオリティーも高く、謎も多く、設定も相当練り込まれているようで、どんなストーリーが展開していくのか楽しみです。

複数の主役級のキャラが登場するあたりは「Fate」とか連想しましたけど、作者によると「『ラストアクションヒーロー』をやってみたかった」とのこと。

とりあえず2話Bパートで、魔法少女が突如乱入してきて大暴れしていたのがぶっ飛んでて面白かったですね(サンシャイン60を破壊してた)。

剣で戦うラノベ系深夜アニメのヒロインと、女児向け魔法少女のバトルが世界観にギャップがあり過ぎて、異色なジャンルの異種格闘技戦みたいになってて面白かったです。

ハート形のファンシーな魔法攻撃がシャレにならない被害をもたらし、現実的な正論を突き付けられ呆然とするとか、なんだか深夜アニメ系魔法少女の有りがち展開みたいになってました(笑)。

現実の世界と創作の世界、創作物であるキャラクターと創造主であるクリエイターとの関係など、メタ的に何重かの入れ子構造になっていているようで、その辺の設定がストーリー的にどう絡んでくるかも気になりますね(あんまり設定とか世界観が複雑になりすぎても付いて行けなくなるかもしれないけど)。

 

 

アリスと蔵六

 

3話まで見たところ、全体的な雰囲気は好みだけど、序盤の掴みがやや弱いかなという印象。

「アリスの夢」と呼ばれる超能力(具現化系)を中心に、能力バトル、人間ドラマ、能力を利用しようとする組織の思惑などが描かれるストーリーのようです。

タイトルからてっきり主人公の女の子の名前が「アリス」なのかなと思っていたんですが、主人公の名前はアリスではなく「紗名」。
どうやらルイスキャロルの「不思議の国のアリス」が物語の下敷きになっているようですね。

並の能力者は一種類のものしか具現化できないらしいのですが、主人公の紗名は特別ずば抜けた能力者で、想像したものを何でも無限に具現化できるようです。

何でも具現化できるといっても3話まで見たところ、でかいパンケーキとか子豚を出した程度なので、「不思議の国のアリス」的な不思議な世界はあまり感じられなかったですね。
紗名が逃げてきた研究施設の地下に、紗名の想像力が作り出した異空間が存在するらしいのですが3話の終わりにちらっと出てきた程度。

頑固爺さんの「蔵六」さんが、世間知らずの超能力少女「紗名」を育てるハートフルコメディーなのかなとも思うのですが、それがメインというわけでもなさそうだし、なんとなく全体的にあいまいに感じる部分が多く、やや序盤の掴みが弱いようなきがしました。
不思議の国のアリス」的なシュールなビジュアルが好きなので、そういうの出てくるのかな?と、今後に期待したい感じですかね。

 

 

サクラクエスト

 

花咲くいろは』『SHIROBAKO』に続くP.A.WORKS制作による「働く女の子シリーズ」第三弾とのこと。

今回の作品では「町おこし」をテーマに主人公の女の子たちが悪戦苦闘するストーリーになるようです。

作品の舞台のモデル(聖地)になっているのは、どうやら「富山県南砺市」のようですね。(南砺市P.A.WORKS本社スタジオ所在地でもある)。

私は概ね首都圏で暮らしてきたので、あまり地方の人口減少問題に直面する機会もなかったのですが、全く無縁でもないので、けっこう興味のある題材です。

私が暮らしてきた首都圏(および関東地方)では、人口減少している自治体・地域もありますが、まだ微減レベルで留まっているところが多いでしょうかね。
(駅前が寂れたり、大型ショッピングモールに人が流れて商店街がシャッター通りになったりというのはよくありますけど)。

この作品は北陸が舞台になっているようですが、都市圏から外れた地方の町の場合は、今後も若者の人口流出・人口減・高齢化によって先行き厳しいようです。

「町おこし」も各地でいろいろやってきたんでしょうけど、かつて「ミニ独立国」ブームがあった、というのは初めて知りました。
その他、UMAブーム(チュパカブラ)に乗っかってみたり、ゆるキャラを作ったり、観光大使でタレントを呼ぼうとしたり、いろいろ試行錯誤してきたみたいですね。
有名な温泉とか観光資源に恵まれている地域はいいけど、これといって何もない場所に観光客を呼び込むのはかなり難しいんでしょうね。

日本の地方・田舎が衰退して荒廃していくのを見るのも切ないので、「地方創生」とかいいと思うんですけど、なんか「残念な企画」などで税金を無駄に使うのは勘弁してもらいたいと思ったり・・・(第一話でも「新国王就任」関連の企画で交付金が1000万円下りたみたいなこと言っていたし)。

この作品のストーリーとは直接関係ないだろうけど、「アニメで町おこし」というのも話題として耳にすることが多いですね。 「サクラクエスト」がヒットしたら南砺市に作品のファンが観光客(聖地巡礼)として大勢来るるかもしれないし、
ご当地アニメはいろいろありますけど、P.A.WORKSが自分の本拠地を舞台のモデルにしている辺りが現実とリンクしていきそうな要素も感じられて、何か現実的なアクションが起きるのか興味深いですね。

聖地巡礼はともかく、人口減少に直面している地方の「町おこし」がどうなっているのか、どんなことに取り組んで、どんな効果が期待できるのか?

なかなかシビアな問題なので、安易に上手くいく話ばかりでもないんだろうけど、ストーリーの展開の中で何が起きるのか興味深く楽しみです。

 

 

アトム ザ・ビギニング

 

「アトム」を作り出した天馬博士とお茶の水博士の若かりし頃を描いたストーリー。

最近は人工知能(AI)の進化が加速しており「ロボットに雇用が奪われる」「消える職業はこれだ」みたいな話が話題になる事が多く、かつてSFで描かれていた未来がいよいよ現実味を帯びてきた感じがしますね。

「人間がAIに管理・支配される未来」みたいないささかディストピア的な論調も含めて、テクノロジーの力で時代が大きく変わりつつある変革期ですから、何がどう変わるのか?自分としてもAIやロボット関係の話題は興味が有ります。

未来はどうなる?と想像したり予測する時、アニメやマンガを入り口にして考えてみるのも楽しいと思いますね。
日本では子供の頃「鉄腕アトム」のマンガを読んだりアニメを見たことでロボット工学の研究者・技術者を志した人も多いのだとか。

しかし自分の場合、「鉄腕アトム」って超メジャーなタイトルの作品の割には、マンガもアニメもちゃんと見たことなかったな・・・。

私の場合祖父母の家にマンガがたくさんあったので、小さいころから手塚作品もよく読んでいたのですが、「鉄腕アトム」とか初期の代表作などは意外に読んでいなかったり。(すごく古いイメージがあって敬遠していた)。

街を歩いていると最近わりとあちこちで「ペッパーくん」を見かけるようになり、最初に見た時は「これがペッパーくんか!」と新鮮味があって興奮したんですけど、慣れてくると「あっ、また居る」ぐらいのテンションになり。こうして、気が付くといつの間にか社会や日常の中でロボやAIが当たり前の存在になっていくのかなと、ふと思ったりしました。

映画&マンガ 「この世界の片隅に」 感想

 

先日、劇場公開中の映画「この世界の片隅に」を見てきました。

原作は既読。何年か前に「この世界の片隅に」を読んで感動して、こうの史代先生の他の作品も読んだりしたので、 今回の映画化も少し前から楽しみにしていました。
クラウドファンディングで制作資金を募ったり話題になっていましたので)。

先日映画を見に行き、その後再び原作を読み直したので、自分なりに気が付いたこととか、あれこれ感想を書いてみようかなと思います。 

 

色がついてて感動した

 

「色がついてて感動した」というのも、なんか単純な感想ですけど・・・

原作と映画の違いといえば、色がついて動いていることと、音が付いていることですね。 

特にこの映画では、徹底的なロケハン・時代考証が行われていて、監督によるレポートが公開されているのですが、異様なほどのこだわりや情熱を感じて圧倒されますね。
(参照・リンク:1300日の記録[片渕須直]

背景美術が美しく、当時の呉や広島の風景が可能な限り精密に再現され描かれているので、映画を見ていると、主人公の「すず」と一緒に、観客である自分も作品で描かれた当時の世界に入り込んでしまうようなリアリティーがあります。
(今回の映画化は、綿密な取材に基づいた映像のリアリティーの凄さを絶賛する声が多いようです)。


原作者のこうの史代先生は、ほぼすべて黒ペンのみで作品を描く方なので、原作ファンの私としては、原作の世界に色がついて動いているのを見ると、なんかそれだけで感動してしまいます。
(水彩のカラーページもありますが、基本的にスクリーントーンも使わず、ひたすら黒ペンのみで描かれている)。
紙とペンのみであれほど濃密な作品を一人で書き上げる職人的な技術・労力に圧倒されるわけですが・・・

 

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 自分としては、今回映画を見ていて「色」がついていることで、原作を読んでいて気が付かなかったことに気が付いたりしました。


例えば、主人公「すず」の幼馴染の「水原哲」が、絵を描いてくれたお礼に、すずに「椿の花」をあげるシーンがあるのですが、 映画では、この時の「椿の花」が鮮やかな紅色で、画面の中で非常に目を引く存在になっているので、 

椿の花を贈ることで、哲がすずに自分の想いを伝えた事・鈍感そうなすずも哲の気持ちに気付いたことが、 モノクロで描かれていた原作よりもダイレクトに、分かりやすい表現になっていました。(「波のうさぎ」の場面)。

 

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さらに祖母がすずにくれた嫁入り用の晴れ着の柄(色)が、すずと哲の思い出の花である「椿」だったり、
同じ季節(冬)だったためですが、嫁入りの時すずが髪に椿の花を挿していたり。
(これも映画でカラーになっているので気が付いたのですが、原作はモノクロなので分かりにくい)。

 

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のんびりしてて天真爛漫なイメージのすずですが、幼馴染の哲との思い出の花(「椿の花」)を身にまとって、知らない男の元に嫁に行くとか・・・
なんだか、心の秘密(秘められたエロティシズム)のようなものを感じてしまいましたね。。
(密かに哲のことを想ったまま、知らない男の嫁になったということでしょうかね)。

嫁入りの時着ていた椿の着物は、物語終盤(戦後)になって、闇市で食料と交換する場面で再登場するのですが、
原作を読んだときは、やはりモノクロで描かれているので、それが嫁入りの時着ていた「椿の着物」だとは気が付きませんでした。(よく見ると原作でもちゃんと同じ椿の柄の着物が描かれている)。

この椿の着物を闇市で食料と交換した帰り道、最後の空襲により大破した重巡洋艦「青葉」(水原哲は「青葉」の乗員だった)の前で、 戦死した(?)「水原哲」とすれ違い、
すずが哲に別れを告げるなど、「椿の花」がすずと哲の「選ばなかった道」の象徴のような役割で使われていたのかなと思いました。

着物(服)については、大人になって「白木リン」と再会した時すずが着ていた服(子供の時着ていた着物を仕立て直した)が、子供の頃祖母の家で出会っていた時と同じものだったり、原作でも映画でも、よくよく注意して見なければ気が付かないところまで、細かく考えられて作られていることに感心しました。 

 

 

キービジュアルの謎

 

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 上の重巡洋艦「青葉」のポスター(キービジュアル)は、クラウドファンディングで資金を募っていた頃(?)に発表されたもののようですが、作中でさほど登場シーンが多いわけでもないないのに、ポスターにでかでかと「青葉」が描かれているのは、少し不思議な感じがしますね。 

この作品のメインストーリーは知らない家に嫁いできたすずが悪戦苦闘して新しい家になじんだり、夫「周作」と心を通わせて本当の夫婦になっていく姿を描いたストーリーですから、ポスターにするのなら、すずが料理を作ったり家事をしているシーンなどの方がしっくりくる感じがします。

でも原作をよく読んでみると(映画でも同じですが)作中で重巡「青葉」が、実はけっこう重要な意味を持つ存在であることが、後からなんとなく分かってきました。(あえて説明を抑えた描き方になっているようなので注意深く読まないとよく分からない)。

上の2枚のポスターに写っているのは、「重巡青葉」「港と軍艦をスケッチするすず」「水鳥(サギ)」「白いタンポポと黄色いタンポポ」「タンポポの綿毛」などでしょうかね。

タンポポの綿毛」は、自分の意志ではなく風に流されるように実家を出て、知らない家に嫁いできたすずを表しているのかなと思いました。
あと、「白いタンポポ」の群れの中に一輪だけ根を張る「黄色いタンポポ」は、新しい場所で生きていこうとするすずの姿を表しているのかなと思いました。
(私は白いタンポポって知らなかったんですが、関西より西には白と黄色のタンポポがそれぞれ群生している地域があるみたいですね)。

あとこのポスターに描かれている重巡「青葉」は、3度目の大破でボロボロの状態で呉に帰港した時の青葉(19年12月)のようですね。何度負傷しても戦線復帰を繰り返した「青葉」はいつからか「ソロモンの狼」「不死身の重巡」と呼ばれるようになったのだとか。つまり母港である呉と南方の戦場を、渡り鳥である水鳥(サギ)のように何度も行ったり来たりしていたわけですね。

要するに「重巡青葉」=「渡り鳥・水鳥(サギ)」=「水原哲」として描かれているようです。
「青葉」にとって呉は、母港(帰るべき場所)であり、哲にとっても幼馴染のすずが暮らしている呉は帰る場所・命を懸けて守るべき故郷の象徴になっているのかなと思いました。

 

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▲(中巻:89ページより引用)

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▲(下巻:63ページより引用)

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▲(下巻:64ページより引用)

 

リンク:青葉 (重巡洋艦)-ウィキペディア
リンク:呉軍港空襲-ウィキペディア

 

 記録によると「青葉」が最後の時を迎えたのは呉空襲の終わりごろ7月28日とのこと。 

航行能力が低下していたため外洋に出ることなく、浮き砲台として呉湾内で米軍艦載機・爆撃機による空襲に応戦し4度目の大破でついに力尽きたようです。

「水原哲」が最後まで「青葉」に留まっていたのか、作中ではっきり書いてあるわけではないのですが、
下巻の呉空襲のシーン(7月28日7時)で、水鳥(サギ)がすずの前に舞い降りているのが、水原哲がすずに最後の別れを告げに来ているように受け取れるので、おそらく水原哲は、「青葉」で最後まで戦い戦死したのかな、と思いますね。

ちなみに、「白木リン」も作中ではっきり生死が描かれていないのですが、
敵機の機銃掃射の弾丸ですずのカバンが撃ち抜かれた時、中にしまってあった、「水原哲からもらった水鳥の羽」と「白木リンからもらった口紅が」粉々に砕け散る描写がありますので、おそらく空襲のあったこの日(7月28日)哲とリンが死んだ(?)、ということを暗示しているのかなと思いました。(映画では桜の木の上でリンから口紅をもらうシーンはカットされているのですが)。

 

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戦争は負けると気づいていたと多くの人が言う。だから終わった時は「ほっとした」と言う。なのに終戦の日、記録映像では何故みんな泣いているのだろう?

(中略)

つぎに玉音放送での涙について。
終戦で泣くのは、家族や家のみならず、夢を失った悲しみだと思った。夢とはこの時点ではすでに「勝つこと」ではない。「正義を抱いたまま死ぬ事」だ。(「平凡倶楽部:戦争を描くということ」 より引用)

 (上記の文章は原作者こうの史代先生が「平凡倶楽部」というエッセイ集で「この世界の片隅に」について述べている文章からその一部を引用したものです。)

 

「飛び去ってゆく。この国から正義が飛び去ってゆく」
「・・・ああ、暴力で従えとったということか。じゃけえ暴力に屈するいうことかね。それがこの国の正体かね。うちも知らんまま死にたかったなぁ・・・」


原作では玉音放送を聞いた後、すずが一人で泣きながら上記のようにつぶやくシーンがあります。

このすずのセリフは映画版では、かなり改変されていました。
正確な文言を覚えていないのですが、確か生活とか食べ物のことについてのセリフになっていたと思います。
(より等身大の生活者としてのすずの言葉になっているようでした)。

呉空襲の末期、すずの前に舞い降りた水鳥がどこかへ飛び去って行きますが、これはすずにとって水原哲の死であり、その時代を生きていた皆が信じていた「正義」の終わりだった、ということなのかなと思いました。

その時代の正義のために多くの犠牲を払ったというのに、負けて全て無駄になってしまったような虚脱感・・・なんでしょうかね。

 

まとめ

今回の片渕監督による映画版「この世界の片隅に」の完成度の高さはすさまじいものがありました。
一応自分なりに感想を書いてみたのですが、どうも上手くまとめることができず。

何年か前に原作は読んでいて、今回映画版を見て、原作も再読したのですが、「椿の着物」とか「重巡青葉」など部分的なところに興味を引かれて、自分なりに感想を書いてみました。

この作品の大事なところは戦時下という非日常を生きる普通の人々の日常(どのように生きるか)だと思いますので、「青葉」とかについてばかり語るのは、作品の本質からだいぶずれてしまっているのかな・・・という気がします。
(この作品の中で「青葉と水原哲」の存在は重要ではあると思うのですが)。


たまたま今回自分の場合「青葉」とか「水原哲」の存在が気になったのですが、すずと夫周作、白木リンと周作の関係、姪の晴美や義姉の径子など、それぞれのキャラクターにそれぞれの物語があり色々考えてみたくなる(色々な読み方のできる)奥の深い作品だと思います。

映画については、近いうちにもう一度見に行こうかなと思っています。
原作も映画もどちらもすごい作品でした。
ありがとうございました。