「僕だけがいない街 Re」【小林賢也(前編)】 外伝 感想
『僕だけがいない街 Re』第二話を読みました。
外伝第一話は【雛月加代】でしたが、今回の第二話は【小林賢也】(ケンヤ)が主人公になっていました。
どうやらこの外伝では毎回別の登場人物を取り上げ、各キャラクターを深く掘り下げる・本編を補完するシリーズになるみたいですね。
そういえばケンヤは、悟の相棒役(補佐役)としてかなり活躍していましたが、本編では「ケンヤ本人」についてはさほど深く掘り下げて語られてはいなかったように思います。
今回は「ケンヤ」がどんなパーソナリティーの子供だったのか? 家庭環境(父・母との関係)や、性格形成に影響を及ぼしたと思われる幼いころの心の傷、リバイバル前・後のケンヤ視点から見た悟についてなど、本編ではあまり語られていなかった、「ケンヤ自身」の内面についてより深く・補完的に描かれていました。
ただ、今回のケンヤ編は、前・後編に分かれているので、(=半分読んだだけの状態なので)、少し感想が書きにくい感じがします。
内容的には前編では、ケンヤ視点で悟が意識不明になるあたりまでのことが語られているだけなので、目新しい展開というか、ストーリー的に大きな動きはなかったように思います。
多分、後編でケンヤが新たに「前に進む」姿・展開が描かれるのかな? という感じがしますね。
どうせ感想を書くのなら後編も読んでからにしたいところですが、せっかくなので、ケンヤ編前編を読んで、気になったことや思ったことを書いてみようかなと思います(あんまりストーリーと関係ない自分の勝手な感想・解釈という感じ)。
児童心理学のケーススタディー
「ケンヤ」といえば本編ではチート級? と思ってしまうほど異常に賢いスーパー小学生でしたが、 (ケンヤも未来からタイムリープしてきた人間なんじゃないかとちょっと思った)、
今回は眠り続ける悟に語り掛ける(独白・告白)のような形式で、ケンヤ本人の内面(葛藤など)が語られていたので、 キャラクターとしての人間味が増した感じがしました。
完璧超人のようなスーパー小学生のケンヤでしたが、幼いころの小さな心の傷などが原因で、素直になれない(他人に距離を置いて、いつも引いて見ている)など内面に多少の葛藤がある少年だったことが語られていました。
家で会話することは少ないけど、弁護士の父親を「尊敬」していたり、
おしゃれなどに関心が薄く、あまり干渉してこない母親を「対等」の存在のように感じていたり、
勉強でもスポーツでもクラスで一番で、すでに将来は父親のような職に就くという目標を持っていたので、
「自分だけが特別」「自分以外のクラスメートは子供っぽい」と、いささかクラスメートを上から眺めているような少年でもあったようです。
プライドが高くて負けず嫌いなのだと思いますが、勉強でもスポーツでも一番になって、誰かに勝つことに喜びを感じていましたが、その一方で、勝利した後「虚ろな感覚」を感じている自分にも気付いていました。
優等生なので、孤立したりするわけではないのですが、「自分だけ特別」「みんな子供っぽい」と思っていたためか、本当に「友達」だと思えるような相手は一人もいなかったようです。
どうやら、幼い頃親友だと思っていた友達に一対の「宝物」の片割れを親友の証としてあげたのですが、その友達に宝物をあっさり捨てられたことが小さな心の傷になって、他人との間に距離を置いて「引いて見る」性格になっていたようです。
その程度の思い出なら誰にでもありそうだと思うのですが、そのような自分でも忘れてしまうような小さな傷が、意外に幼児期~児童期の人格形成に影響を与える、ということもあるのかもしれないですね(一つの出来事で性格が決まるほど単純ではないと思いますが)。
この作品はキャラクターの人物造形が、かなり深く練りこまれている感じがします。
今回も、冒頭からケンヤの成育歴(心の傷や家庭環境)から語られるあたり、なんとなく児童心理学(発達心理学)のケーススタディーを読んでいるような印象を受けました。
なんというか、人物造形がテンプレ的ではなく、各キャラクターが発達心理学的に非常にロジカルに作られている? 感じがします。
人物造形が緻密に練り上げられているので、キャラクターの言動が後でちゃんと繋がっていたり、矛盾などが発生しにくくなっているのかなと思いました。
悟は軽度発達障害?
この作品の登場人物には、「対人関係に問題がある」キャラクターが多いですね。
主人公の悟、雛月、ユウキさん、サイコパスの八代、あと、今回のケンヤも問題というほどではないかもしれませんが、いつも「引いて見ていて」本当の「友達」がいないということが語られていました。
今回のケンヤ編では、リバイバル前・後の悟について、ケンヤ視点でそれぞれの印象が語られていました。
リバイバル前の悟については、以下の通り。
・人と接するのがヘタ・・・というか、他人に興味がなさそうに見えた。
・そこだけ俺に似ていると思ってたけど、この頃少しずつ変わってきたようだ。
・成績はクラスで真ん中ぐらい。足はそこそこ速い。
・取柄は・・・なんだろう (=まだよく分からない)。
ケンヤにとって悟は、まず第一に「他人に興味が無い奴」という印象が強かったみたいですね。
あと、リバイバルで中身が29歳になった後のことですが、
悟が授業中に雛月を見ていた時も「悟は(虐待には)気が付かないよな」とケンヤは思っていました。(あまり他人に意識を向けていないので、そういうことには気づかないだろうと思ったんでしょうかね)。
また、「文集は読んだ?」と、悟に聞いて、「読んでない」と悟が答えると、「まあ、悟は読まないよな」とナチュラルに言っていましたけど、そういうケンヤの言い方からも、子供の頃の悟は相当他人に興味を持たない人間だったことが窺えますね。
なんか描写は地味ですけど、子供の頃の悟って割と軽度の発達障害ぽいですね・・・(「アスペルガー症候群」とか「自閉症スペクトラム」というやつでしょうかね)。
まあ、個性は人それぞれだし、診断名で人にラベルを張ることにあまり意味はないと思いますけどね。(名称はあくまで便宜的なものなので)。
ネット(2ちゃんとか)見てると、わりと「お前アスペやろwww」とか普通に見かけるようになりましたけどね。(良くも悪くも世間に周知されたということでしょうか)。
マンガ家とか作家、エンジニアや研究者にはアスペルガータイプの人が多いらしいので、子供の頃は「変わった奴」と思われていても、後に意外な能力を発揮して社会的成功を収める人も少なからずいるみたいだし。
他人に対して興味が薄い悟でしたが、29歳になっていてもまだ「正義の味方」になりたいと思い続けていたり、マンガ家として最後は成功していたり、意外に大物になる素質の持ち主だったんでしょうかね。
発達障害的な視野の狭さが、意外に「ヒーロー」になる資質だった? りするのでしょうか。
(必ずしも「コミュ障=発達障害」というわけではないのかもしれませんが・・・)
ケンヤは早熟タイプ、悟の場合は大器晩成型・・・だったのかもしれませんね。
***
今回のケンヤ編は、リバイバル後、ケンヤの想像を遥かに超えて雛月に「踏み込んで行った」悟にあこがれるようになり、悟に追いつこうと変わり始めたケンヤの内面も語られていました。
しかし、とりあえず、ケンヤ編は前・後編に分かれているので、後編を読んでからまたその時に感想を書こうかなと思います。
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